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最上屋旅館<山形県酒田市>のクチコミ・お客さまの声
総合5
7月6日に宿泊しました。 天候が荒れ気味で、街の中心ではあるものの、駅からみるとやや離れたアクセスをどうしようと思ったのですが、思い切って駅の無料レンタサイクルを借りてゆっくり走ってみたら、1箇所道に迷いましたが、観光案内所の地図をチェックして軌道修正。雨にもならず、無事到着。早速、評判通り雰囲気のよいご主人の案内で部屋に荷物を置かせていただき、すぐに魚市場の方に向かいました。レンタサイクルは、宿の近くのデパートで返却できるので、便利です。 早めに帰ってお風呂を奨められて行ってみたら、一番風呂。温度もほどほどで堪能しました。夕食と朝食は、これも評判通りのおいしさ。作り方とかのありがたみは、別の夫婦連れのお客さんの奥様が、おかみさんにいろいろ尋ねていらっしゃったので、そのやりとりを伺って片鱗を知ることができました。朝食にコーヒーが付いているのですが、みんなが食事を始めるのを待ってドリップしていただき、セルフですのでお代わりもさせていただきました。 翌朝、デパートは開いていないし、歩いていくしかないかと思っていたのですが、宿のご主人から、「本州でここにしかに南洲神社」のお話がぽろっと出て、奥羽列藩同盟や薩摩の歴史に関心をもっていたので、是非行きたいと申し上げたところ、車でご案内いただいたのには本当にびっくりしました。帰りも、そのまま駅までお送りいただき、腰痛の身には大変助かりました。 一番印象に残ったのは、部屋に「非常時につき節電にご協力を」との呼びかけがあったことです。福島の事故が終わったかのごとき世間の様子につねづね疑問をもって、拙宅でも節電を心がけていたので、我が意を得たりの思いでした。 総じて、「ここだけは手を抜かない」「ここは必要ない」という割り切り方に、ご主人やおかみさんのポリシーを感じ、共感を覚えた宿でした。 隣がカラオケ、というのはその通りで、週末だったので聞こえてきたのですが、久々のレンタサイクル(酒田に来る前に、象潟でも乗っていた)のおかげで爆睡していました。 クチコミ投稿の案内メールが楽天から自動的に来るだろうと勘違いしていたので、すっかり遅くなってしまいましたが、心に残る宿でした。
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酒田は北前船で賑わった町ですので、港の周辺が元々の町です。ここは名所・旧跡にも近く、観光で来られる人にはとても便利な場所です。お風呂は男女兼用が一つだけですが、お客様同志の譲り合いで何とか上手く回転しています。ちっぽけなお風呂ですが、お湯は毎日入れ替え清掃には特に気を配っております。こんな設備の劣る宿ゆえ“食事が全て”と代々お米に拘り地元の旬の食材に拘って参りました。ご覧のとおり一般家庭の料理と何ら変わりありません。あまり手を加えず素材のままにお出しすることを基本としていますので、お口に合ったとすれば幸いです。 庄内藩は徳川四天王の筆頭と言われた酒井家の居城で、戊辰戦争では幕府方として会津藩が降伏してからも最後まで戦いました。降伏後は会津のような厳しいお達しを覚悟していましたが、西郷さんの寛大な取り計らいで穏便な処罰で終わりました。時代が明治に変わってからは西郷さんの教えを請うため、多くの家臣を鹿児島に遣わしたようです。西郷さん没後は、その教えを「南洲翁遺訓(集)」として纏め編集・出版したのが庄内藩です。隠れた名所の一つとして「南洲神社」をご紹介したところ、興味を示されましたのでご案内しました。生憎休館日(日・月休み)で内部は見られませんでしたが、外に有る南洲翁の銅像及び説明書きで概略をお分かりいただけたと思います。南洲神社は鹿児島市と沖永良部島と都城市に在りますが、四つ目が酒田市になります。また鹿児島市と鶴岡市はその後姉妹都市となり現在も友好を深めています。終戦の年に生をうけた頑固おやじは、親から“贅沢は敵だ”と厳しく教育され“勿体無い”精神がこびり付いています。大震災を風化させたくない思いで今も貼り紙をしていますが、賛同していただき“我が意を得たり”で嬉しくなります。最近は年のせいか手を抜いてしまうことも多々有りますが、好きな会津精神を見習い“ならぬ事はならぬものです”を頑固を貫いて参ります。とても心のこもったご投稿を頂戴し、返事を書くことが出来ず、お礼が遅れましたことお詫びいたします。 館主兼番頭 佐藤
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7月6日に宿泊しました。
天候が荒れ気味で、街の中心ではあるものの、駅からみるとやや離れたアクセスをどうしようと思ったのですが、思い切って駅の無料レンタサイクルを借りてゆっくり走ってみたら、1箇所道に迷いましたが、観光案内所の地図をチェックして軌道修正。雨にもならず、無事到着。早速、評判通り雰囲気のよいご主人の案内で部屋に荷物を置かせていただき、すぐに魚市場の方に向かいました。レンタサイクルは、宿の近くのデパートで返却できるので、便利です。
早めに帰ってお風呂を奨められて行ってみたら、一番風呂。温度もほどほどで堪能しました。夕食と朝食は、これも評判通りのおいしさ。作り方とかのありがたみは、別の夫婦連れのお客さんの奥様が、おかみさんにいろいろ尋ねていらっしゃったので、そのやりとりを伺って片鱗を知ることができました。朝食にコーヒーが付いているのですが、みんなが食事を始めるのを待ってドリップしていただき、セルフですのでお代わりもさせていただきました。
翌朝、デパートは開いていないし、歩いていくしかないかと思っていたのですが、宿のご主人から、「本州でここにしかに南洲神社」のお話がぽろっと出て、奥羽列藩同盟や薩摩の歴史に関心をもっていたので、是非行きたいと申し上げたところ、車でご案内いただいたのには本当にびっくりしました。帰りも、そのまま駅までお送りいただき、腰痛の身には大変助かりました。
一番印象に残ったのは、部屋に「非常時につき節電にご協力を」との呼びかけがあったことです。福島の事故が終わったかのごとき世間の様子につねづね疑問をもって、拙宅でも節電を心がけていたので、我が意を得たりの思いでした。
総じて、「ここだけは手を抜かない」「ここは必要ない」という割り切り方に、ご主人やおかみさんのポリシーを感じ、共感を覚えた宿でした。
隣がカラオケ、というのはその通りで、週末だったので聞こえてきたのですが、久々のレンタサイクル(酒田に来る前に、象潟でも乗っていた)のおかげで爆睡していました。
クチコミ投稿の案内メールが楽天から自動的に来るだろうと勘違いしていたので、すっかり遅くなってしまいましたが、心に残る宿でした。
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酒田は北前船で賑わった町ですので、港の周辺が元々の町です。ここは名所・旧跡にも近く、観光で来られる人にはとても便利な場所です。
お風呂は男女兼用が一つだけですが、お客様同志の譲り合いで何とか上手く回転しています。ちっぽけなお風呂ですが、お湯は毎日入れ替え清掃には特に気を配っております。こんな設備の劣る宿ゆえ“食事が全て”と代々お米に拘り地元の旬の食材に拘って参りました。ご覧のとおり一般家庭の料理と何ら変わりありません。あまり手を加えず素材のままにお出しすることを基本としていますので、お口に合ったとすれば幸いです。
庄内藩は徳川四天王の筆頭と言われた酒井家の居城で、戊辰戦争では幕府方として会津藩が降伏してからも最後まで戦いました。降伏後は会津のような厳しいお達しを覚悟していましたが、西郷さんの寛大な取り計らいで穏便な処罰で終わりました。時代が明治に変わってからは西郷さんの教えを請うため、多くの家臣を鹿児島に遣わしたようです。西郷さん没後は、その教えを「南洲翁遺訓(集)」として纏め編集・出版したのが庄内藩です。隠れた名所の一つとして「南洲神社」をご紹介したところ、興味を示されましたのでご案内しました。生憎休館日(日・月休み)で内部は見られませんでしたが、外に有る南洲翁の銅像及び説明書きで概略をお分かりいただけたと思います。南洲神社は鹿児島市と沖永良部島と都城市に在りますが、四つ目が酒田市になります。また鹿児島市と鶴岡市はその後姉妹都市となり現在も友好を深めています。
終戦の年に生をうけた頑固おやじは、親から“贅沢は敵だ”と厳しく教育され“勿体無い”精神がこびり付いています。大震災を風化させたくない思いで今も貼り紙をしていますが、賛同していただき“我が意を得たり”で嬉しくなります。
最近は年のせいか手を抜いてしまうことも多々有りますが、好きな会津精神を見習い“ならぬ事はならぬものです”を頑固を貫いて参ります。
とても心のこもったご投稿を頂戴し、返事を書くことが出来ず、お礼が遅れましたことお詫びいたします。 館主兼番頭 佐藤